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仙台高等裁判所 昭和50年(う)173号 判決 1975年12月10日

控訴人 弁護人

被告人 加藤金男

検察官 宮沢源造

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人吉田幸彦名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、仙台高等検察庁検察官検事宮沢源造名義の答弁要旨と題する書面記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

控訴趣意について

所論は要するに、被告人は当時道路交通法一二六条一項二号にいわゆる逃亡するおそれがなかつたにもかかわらず、これがあるとしてなされた本件公訴提起は、同法一三〇条に違反し、刑事訴訟法三三八条四号により本件公訴は棄却されるべきであるにもかかわらず、被告人を有罪とした原判決は、道路交通法一二六条一項二号の解釈適用を誤り、ひいては不法に公訴を受理した違法を犯したものであるから、破棄されるべきである、というにある。

ところで原判決は、被告人が「昭和四九年六月三日午後二時三七分頃仙台市小鶴字屋舗地内国道四号線において、政令で定める最高速度(六〇キロメートル毎時)をこえる七五キロメートル毎時の速度で普通貨物自動車を運転したものである。」との事実について被告人を罰金一万円に処するとともに、本件違反事件の処理に当つた警察官において被告人が道路交通法一二六条一項二号にいう逃亡するおそれがあるものと判断したことは相当と認められるから、本件は同法一三〇条但書の除外事由に該当し、本件公訴の提起の手続には弁護人主張のような違法は認められない旨判示していることは判文上明らかである。

そこで所論の点につき検討するに、原審取調の被告人に関する速度測定記録書、同現行犯逮捕手続書抄本、原審証人千葉清男、同岩間憲雄、同永浦竜一の各証言および被告人の原審公判廷における供述(ただし、一部)を綜合すれば、宮城県警察交通巡ら隊所属の千葉清男巡査部長指揮のもとに、昭和四九年六月三日午後二時頃から仙台市小鶴字屋舗地内の国道四号線において、RS七A型レーダースピードメーターによる交通違反取締が実施され、同巡査部長は取調係を担当して、同所附近の空地に駐車せしめたマイクロバス(以下検問車という。)内に待機していたところ、同日午後二時三七分頃本件速度違反が現認、記録され、程なく被告人は停止係担当の警察官に命ぜられて検問車の傍に自車を停止せしめ、検問車内に入つてきたが、即刻同車内において取調を開始した千葉巡査部長は、被告人の呈示した運転免許証に免許停止等の行政処分の記載のないことを確認のうえ、本件速度違反は法定速度の毎時六〇キロメートルを毎時一五キロメートル超過した内容のものであるから反則行為に該当すると判断して反則切符の作成に着手し、且つ被告人に対し毎時七五キロメートルの速度であつた旨印字されている速度記録紙(原審取調の速度測定記録書に貼付の速度記録紙参照)を示して、違反内容を了解させようとしたところ、被告人は、機械は必らずしも正確ではないなどと申し立てて違反事実を認めようとせず、さらに、これまで道路交通法違反を何回もやつているし、罰金を納めたこともあるが、二、三回の違反については罰金も反則金も納めていない、現に同年二月頃中新田警察署管内で速度違反を犯し、現場で取調を受けたが、その後反則金も納めないままで経過しているし、これまで行政処分を受けた事実もない、署名に応じなくてもそれで済んでいるのである、自分は警察権力には絶対に服従しないし、警察は道路使用許可にしてもいいかげんなことをしているなどと発言し、果ては興奮して警察官を誹謗する言辞を弄し、千葉巡査部長の差し出す反則切符に対する署名押印も、また速度測定記録書に対する速度確認の署名もともに拒否するのみならず、同巡査部長が作成した否認調書に対する署名押印をも拒絶したこと、ところで同巡査部長は被告人に対する反則行為の処理手続を進捗せしめようと再々事情の説明や説得を試みるうち、被告人の言動やその供述する違反歴にかんがみて、同免許証になんら行政処分の記載がなく、また中新田警察署管内における違反についていまだになんら処分がなされないままでいるという点等につき、或は被告人は違反を重ねながらも住居を変えてこれを届出ていないなどのため、違反に対する処分を免れているかも知れず、もしそのような状況であればその免許証の行政処分に関する欄にも記載洩れとなつている同処分があるのではないかと疑念を懐き、被告人の免許証記載の住居の確認とあわせて、違反歴の内容、違反に対する処分状況等を調査し、その結果によつて本件は反則行為に関する処理手続によるべきか、または刑事訴訟手続によるべきかを決めるべきものと考え、佐藤忠巡査をして宮城県警察本部の交通指導課に被告人のいう中新田警察署管内における違反事実のほか、処分未了の違反事実の有無およびその処理経過と被告人の住居の確認、同本部の運転免許課に行政処分の有無、状況等をそれぞれ照会させ、且つ右照会に対する回答を受けるまで被告人に自車内で待つよう申し向けたところ、被告人は「調べはあとないのか、俺は仕事が忙しいから帰る」などと申し向けながら検問車の外に出たため、同巡査部長は車外にいた永浦龍一巡査に対し、調べが終つていないから被告人を自車内で待持たせておくよう指示したこと、被告人は右車外に出たのちすぐに自車内に戻り、僅少の間待つていたのみで、エンジンを始動し、国道四号線に向い徐行前進を開始せんとし、これに気付いた永浦巡査は、直ちに同車の右前面に立ち塞がつて、手で同車の前進を押しとどめつつ「一寸待て、調べが終つていないのだから、待つてくれ」などと叫び、被告人は一メートル足らず進行した後、検問車の後方一、二メートルの所に自車を停止せしめたこと、千葉巡査部長は永浦巡査の右叫び声を聞き付けて直ちに検問車内より飛び出し、自車運転席に坐している被告人に近付き、同巡査とともに、こもごも「調べがまだ終つていない、本部からの回答がまだだからもう少し待つてくれ」などと説得したが、被告人はこれに耳を藉そうとせず、折柄開けていた自車運転席右側の窓とドアを閉めて、同ドアにロツクをかけ、エンジンをふかしていまにも発進する様子をみせたので、同巡査は咄嗟に右手で右ドアの外側の取手を掴み、左腕を右側後部の窓から入れて、右ロツクを外そうと模索し、被告人はこれを阻まんとして、両者の腕がもつれあうはずみに、ロツクが外れて右ドアが開き、被告人はしぶしぶ下車してきたので、同巡査部長はさらに調べは終つていないのでもう少し待つように、さらに二、三分の間説得を続けたが、被告人はこれに応ぜず「俺は帰る、うるさい馬鹿野郎共、乞食野郎」などと罵言を浴びせ、再び自車に戻ろうとしたので、同巡査部長は被告人がその場から強引に逃走を図るものと判断し、同所で直ちに(同日午後三時一〇分)本件速度違反により現行犯逮捕し、被告人は同日午後三時三〇分仙台東警察署司法警察員に引致された後同月五日午後一時三五分仙台区検察庁検察官に送致され、翌六日原裁判所に本件公訴を提起されたこと、仙台東警察署における取調の段階においては、被告人は住居不定ではなく、行政処分歴や同処分の未執行もなく、また中新田警察署管内の違反は反則行為として処理され、既に通告済であつた事実が判明したことが認められる。

ところで道路交通法一二六条一項および一三〇条の規定によれば、警察官は反則者があると認めたときは、すみやかに同法一二六条一項所定の事項に関し書面による告知をなすべきものであるが、反則者に同項各号に該当する事由があるときは、右告知の手続を履践する要はなく、以後は当該反則行為を通常の刑事訴訟手続にしたがつて処理すべきものであり、同項各号に該当する事由の有無の認定は、恣意にわたらず、合理性を欠くものでないかぎり、当該事件処理に当つた警察官の判断に委ねられているところと解すべきである。

これを本件についてみると、被告人は、前記のように、本件反則行為を現認され、警察官より道路交通法一二六条一項による告知をなすについて、被告人の申述にかんがみ住居など確認の必要上しばらく現場付近に止まるよう再三説得されたにもかかわらず、右説得を無視し自車を運転進行するような行動を繰返したため、警察官において被告人が同項二号にいわゆる「逃亡するおそれがある」として現行犯逮捕し、本件を通常の刑事訴訟手続によることとした結果、右告知手続がとられなかつたものと認められ、本件の事実関係のもとにおいては、警察官の右措置は是認できるものであり、その後の取調により被告人が逃亡するおそれがなくなつたとしても、あらためて右告知の手続をなす必要はないというべきである。所論は被告人が逮捕され、仙台東警察署に引致された後、同所で取調を受けている段階で道路交通法一二六条一項各号の事由は存しないことが明らかとなつたのであるから、その時点において被告人を釈放し、本件速度違反につき反則行為として処理すべきであつた旨主張するが、交通反則通告制度は、大量に発生する比較的軽微な反則行為を簡易迅速に処理することを目的とするものであり、同項が、警察官は、反則者があると認めるときは、その者に対し、「すみやかに」反則行為となるべき事実の要旨などを告知すべきことを規定している法意にてらすと、本件においては、右主張を採用することができない。

したがつて、結局右と同旨の理由により本件公訴提起を適法として、被告人に対し有罪の実体判決を言渡した原判決は正当であるから、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 林田益太郎 裁判官 鈴木健嗣朗)

弁護人吉田幸彦の控訴趣意書

原判決は事実を誤認し、不法に公訴を受理した違法があり刑事訴訟法三七八条二号の事由がある。

一、原判決の内容

本件公訴提起は道路交通法一三〇条に違反し、従つて刑事訴訟法三三八条により公訴を棄却すべきであるとの弁護人の主張に対し、原判決は、「当審における証拠調の結果を総合すれば、本件違反事件の処理に当つた警察官において被告人が道路交通法一二六条一項二号にいう逃亡のおそれがあるものと判断したことは相当と認められる」と判示した。

これは原審の審理が道路交通法一二六条一項の「逃亡のおそれ」の有無を争点として、それに関連する具体的事実の主張、立証がなされたにもかかわらず、何ら具体的事実を認定せず、従つてその判断に至つた理由を付さないで、警察官の判断を相当であると判示した点においてきわめて不適切かつ不当であるばかりか、そもそも道路交通法一二六条一項二号にいう「逃亡のおそれ」の有無は客観的に判断されるべきであつて、事件処理に当つた警察官の主観的判断が相当であるか否かによつて決められるものではないから、原判決の右判示は明らかに道路交通法一二六条一項二号の解釈適用を誤つたものである。

二、本件事案の概要と「逃亡のおそれ」の有無について

証拠によつて認定される本件事案の概要は次の通りである。

(一) 被告人は昭和四九年六月三日午後二時三〇分頃、普通貨物自動車(ライトバン)を運転して、仙台市小鶴字屋舗地内の国道四号線を走行中、スピード違反の疑で警察官に停止の合図をうけた。

そこで被告人は任意に自動車を停止させ、警察の検問車(マイクロバス)に入り、自分から運転免許証を提示し、警察官(千葉清男)の取調に応じた。

以上の事実は、被告人の供述、証人千葉清男、同岩間憲雄の各証言から争いなく認められるところである。

そして、右事実によれば、被告人は当初から逃亡する意図など全くなかつたことが明らかである。

(二) 警察官(千葉清男)は運転免許証によつて、被告人の住所、氏名、生年月日等を確認した。

(三) 警察官はいわゆる反則キツプ及び否認調書に被告人の署名押印を求めたが、被告人はそれを拒否した。

さらに被告人はみずから

1、中新田署管内において、昭和四九年二月七日スピード違反により反則キツプを切られ、同月一九日県警察本部に出頭し、郵便で反則金の納付の督促と郵便料金の加算請求をされたこと

2、工事のための道路使用許可申請に対して、仙台北警察署は許可をしていながら、使用時間は当事者で決めなさい等と無責任な態度であること

を話し、日頃被告人が警察に対して抱いていた不満を述べた。

(以上被告人の供述、証人千葉清男の証言。)

このように被告人の態度は取調警察官に対して、積極的に自らの不満を訴えているのであつて、いわば、逃亡とは全く正反対の態度だつたのである。

また、取調警察官である千葉清男は、被告人の署名押印拒否及警察に対する不満の表明によつて被告人に逃亡の意思があると疑うに至つた旨証言しているが、被告人のこれらの行為は何ら逃亡を疑わせる行為ではないのである(署名押印拒否が当然の権利行使であつて何ら非難されるものでないことも又言うまでもないところである)。

取調警察官千葉清男は被告人の態度に対する反感をそのまま逃亡のおそれに結びつけ、予断をもつて被告人に対処したのである。

後述する被告人の逮捕とその際の被告人に対する暴行は警察官の被告人に対する反感の最も端的な表われである。

(四) 被告人が右の通り署名押印を拒否し、警察に対する不満を表明すると、取調警察官千葉は「黙つて聞いてりや、この野郎いい気になつて外で待つていろ」と言い、被告人を自車の中で待機させた(被告人の供述)。(右の事実を含め、多くの点において証人千葉清男ら警察官の証言と被告人の供述はくい違うが、その信憑性の問題については四項で述べる通りである)。

取調警察官千葉はこの間、県警察本部交通指導課に対し過去の違反事実の有無につき照会をし、運転免許課に行政処分中のものでないかを照会していた旨証言しているが、これらのことは被告人には一切知らされていなかつた。

過去の違反事実の有無や行政処分中か否かについて取調が必要である旨被告人が知らされていれば、前述した((三))ようにみずから積極的に過去の事実を供述している被告人の態度からして、当然それらの点につき積極的に(警察に対する不満を含めて)供述するはずであるにもかかわらず、それらの点については取調も、従つて被告人の供述もなく、被告人は何も知らされないまま、ただ待たされたのである。

(五) 被告人は建材販売業を営む者(株式会社「加藤商会」代表取締役)であつて、本件当時も仕事の途中であり多忙であつた(被告人の供述)。

そのため被告人は、取調警察官千葉から「外で待つていろ」と言われた際、「調べは後はないのか、俺は忙しいから帰る」旨を話した(証人千葉清男の証言)。

そして更に自車の中で待たされている間にも、窓をあけて、「早くしてくれ、帰る」と言つたが何の返事もなかつた(被告人の供述)。

このように被告人が忙しいから帰りたい旨を告げたところ、取調警察官千葉は直ちに逃げるかもしれないと考え、警察官永浦龍一に対し「逃げるかもしれない」と言つて注意を与えた(証人千葉清男、同永浦龍一の各証言)。

ここに本件における重大な問題がある。

すなわち、警察官千葉の取調は任意捜査であつて、被告人が任意に応じるのであればともかく、忙しいから帰りたいと言つている以上帰さなければならないのである。

しかるに取調警察官千葉は、被告人が帰りたい旨話したことを直ちに逃亡と同一視したのであつて、任意捜査の本質のはき違えもはなはだしいものと言わざるを得ない。

そして、この態度が被告人に対する反感から出たものであることは前述の通りである。

また、被告人の帰りたい旨の発言が逃亡するためになされた虚偽のものであると取調警察官千葉が考えたならば(もつとも同人がこのような思考をせずに、「帰る」ことと「逃亡」とを全く同一視していたことは同人の証言から明らかであるが)、被告人に逃亡のおそれがあるか否かについて、既に運転免許証により判明している住所、氏名、生年月日の他に、被告人の家族関係、職業、資産、本籍、電話番号等について取調をなせば容易に判断できるにもかかわらず、一方的に「逃亡のおそれ」ありと決めつけて、これらの取調も一切していないのである。

そしてこれ以降、千葉清男、永浦龍一ら警察官は被告人には逃亡のおそれがあるとの独断的な予断の下に被告人に対処したのである。

(六) 被告人は何らの理由も告げられず自車で待機させられ、一〇分間ほど経過したので、再び「早くしてくれ、帰るよう」と言つたが何の返事もなかつた。

そこで被告人は警察官に注意を促し、牽制するために、エンジンをふかし、自車をゆつくりと六〇センチメートルほど前進させた(被告人の供述)。

勿論、被告人には、これまで述べた通り、当初から逃亡する意思など毛頭なかつたのである。

千葉清男ら警察官は被告人の行動をみて直ちに逃亡のおそれありと断定した。

被告人には逃亡のおそれがあるとの予断の下に被告人に対処していた警察官としてはきわめて当然の判断であつたかもしれない。

しかしながら、被告人が逃亡するため自車を前進させたのか警察官に注意を促し牽制するために前進させたのかは、冷静に判断すれば明らかなことであつた。

即ち、被告人はエンジンをふかせて、きわめて遅い速度でそろそろと車を前進させ(警察官である証人永浦龍一もその証言の中で、被告人の車はそろそろと進行したこと、速度は人の歩く位の速さであることを認めている)、約六〇センチメートル進行しただけですぐに停止させた(被告人の供述。証人永浦龍一は約一メートル前後進んだ旨証言するが、いずれにしても被告人が発進して直後停車させたことは明らかである)のである。逃亡するために自動車を動かすのに、人の歩く程度の速さでそろそろと進行し、一メートルも進まないうちに停車することがあるであろうか。まして現場には多数の警察官がおり、パトカーもいるのである。

被告人が真に逃亡する意図であつたとすれば、できるだけ速い速度で進行させたはずであり、その場合一メートルも進行しないうちに停車できるなどということはあり得ないことである。被告人が自車を前進させた意図が奈辺にあつたかは容易に判断しうる情況であつたのである。

(七) その後警察官永浦龍一は被告人を車の中から引張り出し、警察官千葉清男は「逮捕する」旨告げたので、被告人は「署名押印すれば良いだろう」と言つた処、「署名押印してもだめだ逮捕する」と言つて、二名の警察官が被告人の両脇を抱えパトカーに連行しようとした。

そこで被告人は「署に行くなら自分の車で行く、車の中には金がある」と言つたところ、警察官は「一千万円持つている訳でないだろう」と言つて、無理矢理被告人をパトカーに乗せた。

(以上被告人の供述)。

その際、被告人は警察官により右手を背中にねじり上げられ、足を蹴られる暴行を加えられ、両側打撲性肋間神経痛、左第四肋骨骨折の傷害を負い、ズボンにしていた革製のベルトを切られた(追つて提出する診断書及びベルトにより明らかである)。このような被告人に対する暴行は本件逮捕が適正な捜査のためでなく、もつぱら被告人に対する反感からなされたものであることを明らかにしている。

(八) 取調警察官千葉清男がなした照会は、運転免許課からは被告人をパトカーで東警察署に連行する途中なされたが、交通指導課からは同署についた後も連絡がなく、再度同課に照会して始めて行政処分の未執行はないことの確認をしたというのである(証人千葉清男の証言)。

このように警察官は、返答がくるまでどれ位かかるかわからない(事実、相当時間経過後になされた)照会のために一方的に被告人を待機させたのである。

また本件捜査のため照会が必要であつたとの検察官の主張に仮に従つたとしても、過去の違反事実及び行政処分の未執行がない旨の照会回答を得た以上、既に捜査の必要は全くなく、直ちに被告人を釈放して、反則手続をとるべきだつたのである。

捜査の必要がないにもかかわらず、逮捕を継続することが合法であるなどという主張は、被疑事実の内容(単なる一五キロの速度違反である)と逮捕による身柄拘束が被疑者に与える苦痛との比較からも到底容認できないものである。

(九) 被告人は逮捕の当日である六月三日、簡単な取調をうけた後翌四日、司法警察員千葉久の取調をうけ、本籍、住居、電話番号、職業、生年月日、出生地、交通違反前歴、家族構成、資産について供述するとともに、本件の内容、車を移動した理由等について供述した(被告人の司法警察員に対する供述調書)。この取調によつて、被告人に逃亡のおそれがないことは明々白々となつた。

既に捜査の必要はなく、逃亡のおそれがないことは何人にも(予断をもつて被告人を逮捕した警察官にも)明らかになつたのである。

従つて、いかに考えようとも、この時点で被告人を釈放し、反則手続をとるべきことは言うまでもないところなのである。しかるに司法警察員及検察官はその後も被告人を釈放せず、本件公訴(略式起訴)を提起したのであつて、その違法は明らかである。

なお被告人は逮捕中、弁護人を呼んでくれとの要請及び自宅に連絡したいとの要請を無視される不当な扱いを受けたのである(被告人の供述)。

三、「逃亡のおそれ」の判断の時期について

道路交通法一三〇条一号にいう、同法一二六条一項各号のいずれかに掲げる場合に該当するか否かの判断は、警察官が反則者と認めた時点や逮捕以前に限られるものではなく、警察官が同法一二六条本文の告知をなし得る期間中に同条一項各号に該当しないことが明らかとなつた場合は、告知手続をとるべきであつて、同法一三〇条本文により公訴の提起はなし得ないのである。

このことは同条一号が「第一二六条一項各号のいずれかに掲げる場合に該当するため・・・・・告知をしなかつたとき」と規定し、一二六条一項各号の事由を告知ができない場合として規定していること、また一三〇条は一号において一二六条一項各号の事由をあげるとともに二号において、書面の受領拒否、居所不明をあげ、いずれも告知、通告手続が不可能である場合を除外した趣旨であることから明らかである(同旨、神戸簡易裁判所昭和四三年一〇月二九日判決下刑集一〇巻一〇二八頁、同裁判所昭和四三年一一月二〇日判決、下刑集一〇巻一一号一一四三頁。判決の概要は原審における弁論要旨記載の通り)。

いずれにしても被告人には当初より全く逃亡のおそれなどなかつたことは、本件の各時点につき詳細に前述した通りである。

四、被告人の供述及び警察官の証言の信憑性(証拠の価値判断)について

原審における警察官の証言と被告人の供述は多くの点においてくい違いがあり、矛盾するので、本件においてその信憑性をどのように判断するかは極めて重要である。

まず指摘しなければならないことは、証人岩間憲雄、千葉清男、永浦龍一はいずれも取締にあたつた警察官であり、利害を同一にするのみでなく、同一の職場にあつて随時打合せ等が可能なのであるから、これらの証人の証言が一致することを以つて、その信憑性の証左とはなし得ないことである。

従つてその信憑性を判断するためには、他の客観的な証拠との関係を慎重に検討する他ない。とりわけ本件における目撃者はこれら警察官と被告人のみであるから、その必要は大きい。

(一) 被告人が自車を前進させた後、同車の運転席側のドアを誰がどのようにして開けたかについて(このことは逃亡のおそれについての被告人の態度を判断するについて重要な事実である)前記三名の警察官はいずれも、被告人はドアをロツクし、運転席側の窓も半分以上しめた旨証言し、証人千葉清男、岩間憲雄はそろつて永浦巡査が後部座席の窓から手を入れてロツクをはずした旨証言し、右証言に対する弁護人の反対尋問の後に最後に証言した永浦龍一は後部座席から手を入れてロツクをはずそうとしたら、何かの拍子にドアが開いたなどと証言した。

しかるに本件貨物自動車の運転席側のドアロツクは後部座席から手を入れて開けることは物理的に不可能なのであつて、右各証言は一致して虚偽なのである。

弁護人はこのことを明らかにするために、右自動車の検証を申請し、検証の結果右証言が虚偽であることが明らかとなつた。

(二) 逮捕時の暴行について、前記警察官は被告人に暴行は加えていないと証言しているが、釈放後直ちに作成された昭和四九年六月七日付佐藤正雄医師作成の診断書(当審において提出する)によれば、被告人は全治一週間の安静加療を要する両側打撲性肋間神経痛の傷害を負つたことが明らかであつて、右証言はいずれも虚偽であることが明らかである。

以上の通り、本件における数少ない客観的証拠からしても、警察官らの証言の信憑性がなく、被告人の供述に信憑性のあることが認められるのである。

五、以上の通り、被告人には道路交通法一二六条一項二号の事由はなく、本件公訴提起は同法一三〇条に違反する違法なものであつて、刑事訴訟法三三八条四号により本件公訴は棄却されるべきものであるにもかかわらず、有罪判決をなした原判決は不法に公訴を受理した違法があると思料する次第である。

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